とかくこの世は理不尽だ。
生涯現役で働きたいと思っていても会社は60才に線を引き定年制度を設けている。
65歳までは同じ会社で働けるが再雇用扱いになるため、仮に業務内容に大差がなくても報酬は激減する。
私の会社で昨年60才を向かえて再雇用延長された先輩に話を聞いたが、賃金は半分以下まで下がったそうだ。
業務内容は大きくは変わっていないからモチベーションはやはり下がるようだ。
若い人から見れば、嫌ならば延長しなければよいとか、外に飛び出せばよいとか思われるかもしれない。
だが企業で、特に工場勤務で働いてきた人たちには「この道一筋◯◯年」の人が多い。
同じ仕事を繰り返して習得したノウハウを持っていること、それが会社からみたら重宝であることから、会社の経営危機やリストラをくぐり抜けて定年まで在籍出来たのだと思う。
自分自身で考えても、この道一筋の経験を除けば何が出来るだろうか?
今の仕事がダメならば何でもチャレンジしてやろうという気概はある。
だけど一番力を発揮しやすいのはやはり今担当している業務だとは思う。
例え60才で賃金が半分になっても継続するのではないだろうかと想像している。
やはり同じ会社、同じシステムで顔見知りと仕事するのが”楽”であることが大きい。
別の会社で別のシステムとルールの中で、顔も知らない人の中で仕事するよりはストレスがずっと少ないと思う。
企業はなぜ60才で線引きしているのだろうか?
元気な高齢者が増えた今の世の中からみれば、60才はあまりにも早すぎる。
しかも退職者分を新たに雇用するにしても、高卒や大卒人口が減っていってる中では新規採用が難しいのにと思う。
そろそろ年齢というものさしを捨てる時になっているのではないかと思う。
年齢に関係なく、適材適所に人材を当てはめて、当てはめた業務で賃金が決まる。
年齢に関係なく、年功序列もなく、若い人でも、60才を超えた人でも需要ある技術を持っていれば、見合った報酬を得らるほうが今の社会に適合するのでないだろうか。
若くても考えが老けている人もいれば、年齢が高くても物事に興味を持って動いてくれるひともいる。
「あの子は若いから…」とか、「あの人は年だから…」とか、ひとは年齢というものさしで判断する時がある。
年齢で一律に線引きするのではなく、業務によって、人によって、分けていくほうが労働生産性が上がるのではないか。
労働人口の減少や少子化が現実に迫ってきている今だからこそ、そろそろ年齢というものさしを捨てる時が来ていると私は感じる。