京都の鞍馬寺は山の中にあります。
わたしは毎月鞍馬寺にお邪魔をしていますが、さすがは京都の北山、鞍馬寺のあたりには立派に育った杉の木があちらこちらで見られます。
特に鞍馬寺の山門過ぎての由岐神社。
ここにある御神木大杉はほんとに”すごい”。
樹齢800年という話ですが、これほど力強く真っ直ぐで立派な杉の木は他じゃ見られません。
”神々しい”とさえ言えると思います。
杉の木が天に向かって真っ直ぐ伸びる姿は、まさにあこがれの姿、凛として余裕がある、「まことに立派!」としか言葉に出来ません。
なぜ樹木はあれだけ悠々とした佇まいなのか?
それは人間とは違う時間軸で生きているから。
人間とは生きるスピードがまったく違うからだと思います。
御神木大杉は樹齢800年ですが、樹木の寿命ってどれくらいだと思いますか?
さほど大きくならない木、柿の木、桃の木、栗の木くらいで100年満たないと言われています。
でも屋久島の木々、屋久杉なんかは樹齢2千年とか数千年とか言われています。
実際はそんな期間を生きている人もおらず、正確には誰も測れないし分からないそうです。
「分からない」と言ってくれるほうがすっきりと分かります。
樹木の寿命を3千年、そして人の寿命は100年とします。
すると人の寿命って、長寿である樹木の1/30くらいです。
1/30と言うことは、人間の時間で30日が樹木で言う1日にあたります。
樹木はなんともゆっくりと過ぎていく時間の中で暮らしているのが分かりますよね。
わたしが鞍馬寺まで月一回お参りにいくのも、鞍馬山の樹木からみたら、ちょくちょく頻繁に来るおっさんだと思われているかもしれません。
。
「あいつまた今日も来よったで!」と言うことになるのでしょうか?
人はそれだけ急かせかと動いている、樹木からみたら、そう見えると言うことでしょう。
樹木と人には1/30の時間差があります。
だからこそ樹木に凛とした雄大さがある。これは当然です。
ひとは樹木を見ると感嘆します。
ことばにならない感動を自然から感じるときがあります。
でもそれは樹木が人間では考えられないほどの長い時間で歴史を見てきたから。
人では経験が出来ないスパンで生きてきた樹木ならではだと思います。
「樹木のような人になりたい。」
圧倒的に雄大な樹木を見ていると、樹木のように余裕ある人物になりたいと思うわたしです。
樹木ほど生きてる時間はないですが、それでも同じ時を生きているのですから、余裕とか佇まいとか、生きかたとか。
気持ちだけでも近づくのは”有り”だと思うのです。わたしはね。