これからは小さなしあわせを探していこうと思うのです。
わたしは思うのです。しあわせって言うのは人の心の中にあるものだと。
「青い鳥」の童話が教えてくれたと思うのです。
本当のしあわせは手の届く身近にあることを。
チルチルとミチルはどれだけ探しても、がんばっても青い鳥を捕まえることが出来ませんでした。
でも現実に戻った時、青い鳥はすぐ身近にいたのです。
青い鳥=しあわせ ですよね。
しあわせってそういうことだと思うのです。
どれだけ望んでも、その人がしあわせを感じられなかったら、しあわせを見つけられないですし、しあわせになれない。
心の持ちかたひとつでしあわせを感じるし、または感じることが出来ないかもしれない。と言うことです。
夏のよく晴れ渡った日に青空を見上げれば、「空がきれい!気持ちいい」と感じる人もいるでしょうし、その逆に「暑いし最悪w」と思う人だっていると思います。
「空がきれい」とちょっとでも感動が出来る人は、小さなしあわせを掴んだと言うことでしょう。
「暑いし最悪」と思う人はその日、空から感動を得ることが出来なかったと言うことです。
同じことをして、同じ状況でも、それをネガティブにとらえるのか、それともポジティブに捉えるのか。
良い方向に考えることが大切に思えるのです。
誰だって小さなしあわせよりも、大きなしあわせが欲しいですよね。
日常の小さなしあわせよりも大きなしあわせを手に入れたいと誰もが願っていると思います。
でもこれって間違っていると思います。
小さなしあわせを感じることが出来ない人に、大きなしあわせを感じることが本当に出来るのでしょうか?
わたしは出来ないかもしれない……そう思うのです。
しあわせに対して鈍感になっている人は大きなしあわせ状態になったとしても、どこかに不満を持ってしまうのではないでしょうか。
しあわせには際限がないですから。
しあわせをしあわせと感じないなら、それは不満でしかないですから。
だからしあわせに敏感になる訓練が必要です。
日々の暮らしの中で小さなしあわせを感じられるように、一日の終りに今日出会った「しあわせ」を思い返してみてはいかがでしょうか?
こころをフラットにしてみれば、意外と色んなしあわせを見つけられるかもしれません。
ご近所さんと朝の挨拶が出来たこと。
そして笑顔をもらえたこと。
予約していたライブチケットを受け取ったら、ステージ近くの席だったこと。……etc
こんなわたしでも、小さな喜びはあちこちにありました。笑
毎日しあわせを感じていれば、そのうちにびっくりするくらいの大きなしあわせにも出会えるかもしれない。
そうに思うのです。きっとね。