安倍元総理が選挙応援中に銃撃で倒れたのはまだ記憶にあたらしく、痛々しいできごとでした。
その安倍元総理の国葬がこの秋の9月27日に日本武道館にて実施で調整がされているそう。
そんなニュースが飛び込んできました。
国葬とはなに?
私は知りません、そんな葬儀があったのでしょうか?
ネットで調べると、日本国が喪主となって国費を使って執り行う葬儀みたいです。
直近では、と言っても50年以上前ですが、昭和天皇や吉田茂さんの国葬が実施されたそうです。
そこまでする!?驚きですね。
そこまですれば国葬と言えます、確かに国の葬儀です。
その昔には国葬を執り行う法律があったそうです。
でも今は法律と宗教が分離しているので、現在の日本に国葬を行う法律はありません。
法律やルールではないけれど、安倍元総理は国家に功労のあった人物だったから、国家的儀式として葬儀を執り行うと言うことみたいです。
わたしも安倍元総理の功労や功績は認めています。
安倍元総理以降の政権を見ても分かりますが、どの政権も安倍元総理ほどのインパクトはありません。
アベノミックスにしても外交にしても、どれだけ安倍さんが頑張ったかが分かります。
わたしの記憶の範囲で言えば、インパクトのあった政治家は3人。
この3名が巨塔でしょう。今の日本を作った人物と言えます。
でも、そんな安倍元総理でも国葬って本当に実施していいのでしょうか?
わたしはこのまま実施するのはダメではないかと言う意見です。
「基準もなしにその時の政府の考えで国葬が実施される」と言うのが納得出来ないからです。
国のお金を使うのですから、多くの国民が納得出来なければいけないと思います。
わたしは「絶対にダメ」と言う意見ではありません。
もし国葬をするのであれば、その時の総理や政府の判断だけではなく、「まずは国葬を行う判断基準を設けるべき」と思うのです。
まずは、国葬を実施する条件をクリアしている、その上で政府や有識者とかの賛成意見が多数だから実施するとか。
そうであれば、手順を踏んでいるからわたしも世間も納得が出来ると思います。
わたしの考えがちょっと歪んでいる?からかもしれませんが、安倍元総理に起きた一連の流れは、なにか仕組まれたストーリーに感じてならないのです。
一連を鳥瞰して見ると、誰かがストーリーを作ってその上で行動しているように感じてしまう……
だって、こんなことって起こる?と言うことばかりですから。
そして最後に国葬です。
戦前、戦後を含め国葬は数回しか実施されていないので、歴史に名が刻まれるでしょう。
だからこそ、ですね!