金融機関で多量に硬貨を入金する際は手数料が掛かる時代です。
ご近所の神社でも1円玉のお賽銭をお断りする張り紙がされていました。
1円玉でお賽銭するなら気持ちだけを受け取ります、お賽銭はしないで!
そんな紙が貼り付けてあったのです。
お賽銭はその人の気持ちで、金額はいくらでもよいはずなのにね…
ちょっと嫌な気持ちになりました。
神社やお寺からしたらお賽銭やお布施は収入かもしれないですが、お賽銭しているほうからするとあれは神仏へ捧げたもの。
管理している神社やお寺に納めるものではないって思っています。
1円玉や5円玉がダメ。
ではお賽銭はどうなるのでしょう?
お賽銭は高額硬貨しかだめになってきそうな気がします。
大きな神社仏閣ではまだそんな張り紙を見たことがないですが、状況は同じでしょう。これから拡がるのではないでしょうか、たぶん。
今は小さな神社仏閣で話題になる程度ですが、いずれは”Xデー”が来そうな気がします。
年始の参拝で大きな神社が同じことを言って、ニュースになるとか。
京都のお寺が集まった団体が、「お賽銭は100円玉で!」と言い出したとか。
いずれはそんなニュースが飛び交うかもしれません。
高額な硬貨、100円玉や500円玉でお賽銭をしてもいいのです。
お参りするところが1つであれば問題なりません。
でも神社でもお寺でも、大抵が複数のお賽銭場所を持っています。
本殿とか本体部分だけではなく、その周辺にもいろいろな賽銭場所、神様のなんとかと賽銭箱があります。
わたしはそこにもお賽銭をしたいほうです。
そうすると結構な金額になってくるから、ちょっと困ってしまいます。
お賽銭の風習はもう500年以上の歴史があるそうです。
安土・桃山時代の1540年、鶴岡八幡宮にお賽銭箱が置かれていた記録があるそう。
長く日本にある風習ですから、金融機関の手数料とか、そんなことで風習が変わってほしくないと思います。
世の中はキャッシュレス時代で現金を使わなくなったのは確かです。
「お賽銭もキャッシュレスで!」と言う意見もあります。
お賽銭箱のところに電子マネーのQRコードを貼り付けておいて、お賽銭を受け付ける。それでよいのかもしれません。
そうすれば多量の硬貨は発生しませんし、管理者が困ることもありませんから。
でもそれって人情的にどうなの?って思いますよね。
数字が動くだけ、数字はお金であってお金でない、そんな気がするのです。
さらに時代が進んで、この先数十年がたって、よりお金が数字になるとそんな「お賽銭もあり」になるのかもしれません。