
今年4月の一番の思い出になったのは間違いなく軍艦島でしょう。
たぶん20歳くらいからずっと思い焦がれていた島。
映画で軍艦島を見たときからのあこがれでした。
あれから数十年…今や軍艦島は世界遺産に認定されて人々に知れ渡ったけれど、わたしの中では何も変わらずです。
あの20歳のときのまま…色褪せず変わらずのあこがれの島なのでした。
その島に上陸が出来たのは万感の思いです、ほんとことばに表せられないくらいに感動がありました。
軍艦島にはクルーズ船で向かいます。
軍艦島に近づくまでにもたくさんの島々を見ながら、「あの島は人がたくさん住んでそう」とか、嫁とふたりでわいわいと話をしながら短い船旅を楽しんでいました。
気づけば進行方向に何やら人口のビルとか街が見えてきました。
でも普通の街ではありません。
街全体がグレーな印象…そうです、あこがれだった軍艦島が見えてきたのでした。
とにかく軍艦島は存在感が半端ではありません。
今ではだれも住んでいない街、でも確かにそこにはひとの息吹が感じられたのです。
たくさんの人が住んでいた、そこには悲喜こもごもの事象や事柄があったことでしょう。
でもその生活が…
そうです、この街では時間と共に生活だけが失われていったのです。
この街で生まれた人もお亡くなりになった人もいるのに…
街はかたちだけを残して人々は去っていった…それが軍艦島なのでしょう。
街を見るだけでも分かります。
街が泣いている…寂しがっていることが。
今や廃墟となった街、当時には映画館とかパチンコ屋、小学校にプールまでありました。
クルーズ船での観光ルートからは軍艦島のほんの一部しか見られませんが、それでも上陸した人には伝わるものがあります。
たぶんあの島には、人々が生きた証、魂があるのでしょう。
無機質ではない何かを伝えようとする、わたしはそんなものを感じたようです。
すでに軍艦島に人が住まなくなって数十年がたっています。
それだけの年月を経てもなおのこと、いまでも大きな存在感を示している軍艦島。
これだけ大きな”感動”を頂けるとは思いませんでした。
軍艦島に上陸している時間は長くはありません。
たぶん1時間ないくらい。
最後の、もう帰る時になって思ったのが、
「ありがとう、軍艦島。」「そしてさようなら。」でした。
同じ日本であればいくら離れているからと言えども、また訪れるチャンスがあるかもしれません。
でも軍艦島は違います。
たぶんもう訪れることはない…
わたしにはそれが分かっていましたから…心のなかでそう叫ばずにはいられなかったのです。
軍艦島、わたしは「色がない街。」
わたしにはそんな島に思えたのでした。