物静かで周りに配慮が出来る先輩でした。
技術畑出身の先輩で話が論理的だったのでとても説明が分かりやすい先輩でした。
またひとり会社の先輩が退職して行きました。
先輩はどうも働くことからフェードアウトされるみたい、延長雇用とか別会社で働く気はないみたいで長い骨休めをするそうです。
会社勤めをしなくても食べていけるワザとか技術を持ってられるのでしょう。
ちょっと…いやかなり!羨ましく思います。
会社を離れるだけで過去のしがらみから解き放たれる、これだけでもしあわせだろうなぁ…って考えてしまいます。
最近は身近な人の退職者が増えてきました。
これはわたしの会社だけでなくて、長く商売している会社なら同じかもしれないですけど…寂しいですね。
歴史のある会社では継続して毎年社員を新規雇用してきたでしょうし、バブル期には大量に人材雇用もあったでしょう。
特に自動車メーカーや電機メーカー。
大量生産するために人材を確保したでしょうし、わたしもそのメンバーのひとりです。
そのメンバーが定年を迎える年代に差し掛かっただけではあります。
わたしも定年が近くて、あと2年後には60歳。
先輩が去るのを寂しいとか言っていられません、定年後の自身の身の振り方を考えておかないといけません。
今の会社で働き続ける?、給与は大幅ダウンで再雇用ですよ。
別の会社に就職する?、やっぱり給与は少ないかも…
ほんとうにやりたいことを考えると進路は絞れています。
わたしがやりたいこと、それは「勉強がしたい」こと、そして「文章を書きたい」と言うこと。
わたしには学がありません。
だから定年を機会に大学で勉強したいかなぁ…漠然と思ってきた夢ですかね。
この歳で勉強したって大学を卒業したって、何かが変わるとは思ってはいません。
でもね、「なにも変わらない訳はない」とも思っています。
変化は自分で作るものです。
自分で考えて動いて変えることが大切、そこから何かが生まれるとわたしは思います。
何がどう変わるのか、全く想像が出来ないですけどね。
「学ぶこと」、それだけでは嫁が許してくれそうもないので「働きながら学ぶ」ことになるでしょうか。
それが考える定年後の姿です。
「書くこと」はほんとに夢ですね。
商売になるorするを考えなければいつでも書くことは出来ますから。
「会社で働くことが出来なくなった」そんな時にでも考えましょう。
こうやって自分の思いをブログで綴るだけで、自分の書いた文章が「自分がここにいた」足あとを残せていますから。
満足しないとですね。