「人間はしあわせになることが決まっている、人生なんて自分の設定だよ。」
最近、私は本気でこんなことを思っています。
”しあわせ”なんて気の持ちようですよね。
小さな幸せを感じること、たとえば、人から親切にされたりやさしい言葉を掛けられたり。
同じことがらに遭遇しても、そのことがらがしあわせだと感じる人もいれば逆に「こんなの普通じゃん!」と何も感じない人もいます。
どうせなら”しあわせ”をいっぱい感じれるほうがしあわせだと思いませんか?
それは簡単なこと、「自分はしあわせだ」と言う設定にすればいいのです。
そうすることで、今まで見過ごしていた小さなしあわせでも、ちゃんとしあわせに感じることが出来るようになってくるのです。
それが私が知っている「しあわせになる」やり方、とっても簡単ですね。
では、どうすれば自分を”しあわせ”な設定に出来るでしょうか。
これも簡単です、夜の寝る前に次のことを声出して言ってみるだけです。
その言葉が、『明日は最高に”しあわせ”な日になる、今まで生きてきた中で一番”しあわせ”な日になる!』
そして次に、『どうしょう、ワクワクしてきた!楽しみやわぁ〜』と言ってください。
そしたらね、自然と心の中にワクワクした気持ちが残るのです。
それから寝れば、起きた時には”しあわせ”な日が始まるのでした。
どうです、簡単でしょ?
そんなことを実践している私が、自分の人生で一番につらかったことを思い出してみました。
人生で一番つらかったこと。
一番か二番かは分かりません。思い出すのは、はるか昔の中学1年生のころでしょうか。
夢と希望いっぱいに中学に入学した年のことです。
あの時が”底”、と言うか”沼”!?
一番つらかった時期かもしれません。
中学生は小学生のころとは違う勉強中心の生活。
と言ってもクラブ活動もしていました。
球技が好きだった私が選んだクラブがバスケットボール部。
楽しさで選んだバスケットボールでしたが、このクラブ選択が私の中学1年を暗黒の生活にしたのでした。
クラブは最初は楽しかったのです。
新しいスポーツでしたし、同じ一年生もたくさんいましたから。
でも私の体がついていかなかったのです。
大抵のスポーツクラブはよく走ります。
バスケットボール部も、毎日体育館が使えるわけではないので”体力づくり”で走ったり。
からだを鍛えたりする日がありました。
これが私にかなりつらかった。
当時の私は頑張りすぎると、後から頭が痛くなる人だったのです。
クラブが終わって家に帰った後は、寝るまで頭痛に悩まされたものです。
そして夏休みくらいから、少しづつクラブに行くことが減りだして、2学期と3学期はほとんど惰性で参加していただけです。
毎日、どうやってさぼるかのサボり方を考えるばかり。
クラブをさぼって、どうやって家に帰るか?そればかりを考えていました。
今、あの頃の自分は何者だったかを考えると、たぶん思うに自分の意見を声出して言えない子だったのでしょう。
今だったら、やりたいことに時間を使うし、嫌だとか違うとか、抗うことだって出来るのに。
他にもつらい話は持っています。
彼女に振られた話とか、悲しい出来事はあるのですが、今思い出せるのは中学1年生のクラブ活動でした。
当時、私はバスケットとかクラブから逃げだしていたのでしょう…たぶん。
何故か当時の暗い気持ちが蘇った、きょうはそんな日と思うことにします。