mac-3's blog

好きなことを楽しむブログ。

しあわせではなかった、私の中学一年生とバスケットボール部。

「人間はしあわせになることが決まっている、人生なんて自分の設定だよ。」

最近、私は本気でこんなことを思っています。

 

”しあわせ”なんて気の持ちようですよね。

小さな幸せを感じること、たとえば、人から親切にされたりやさしい言葉を掛けられたり。

同じことがらに遭遇しても、そのことがらがしあわせだと感じる人もいれば逆に「こんなの普通じゃん!」と何も感じない人もいます。

 

どうせなら”しあわせ”をいっぱい感じれるほうがしあわせだと思いませんか?

それは簡単なこと、「自分はしあわせだ」と言う設定にすればいいのです。

 

そうすることで、今まで見過ごしていた小さなしあわせでも、ちゃんとしあわせに感じることが出来るようになってくるのです。

それが私が知っている「しあわせになる」やり方、とっても簡単ですね。

 

では、どうすれば自分を”しあわせ”な設定に出来るでしょうか。

 

これも簡単です、夜の寝る前に次のことを声出して言ってみるだけです。

その言葉が、『明日は最高に”しあわせ”な日になる、今まで生きてきた中で一番”しあわせ”な日になる!』

 

そして次に、『どうしょう、ワクワクしてきた!楽しみやわぁ〜』と言ってください。

そしたらね、自然と心の中にワクワクした気持ちが残るのです。

それから寝れば、起きた時には”しあわせ”な日が始まるのでした。

どうです、簡単でしょ?

 

そんなことを実践している私が、自分の人生で一番につらかったことを思い出してみました。

 

人生で一番つらかったこと。

一番か二番かは分かりません。思い出すのは、はるか昔の中学1年生のころでしょうか。

 

夢と希望いっぱいに中学に入学した年のことです。

あの時が”底”、と言うか”沼”!?

一番つらかった時期かもしれません。

 

中学生は小学生のころとは違う勉強中心の生活。

と言ってもクラブ活動もしていました。

 

球技が好きだった私が選んだクラブがバスケットボール部

楽しさで選んだバスケットボールでしたが、このクラブ選択が私の中学1年を暗黒の生活にしたのでした。

 

クラブは最初は楽しかったのです。

新しいスポーツでしたし、同じ一年生もたくさんいましたから。

でも私の体がついていかなかったのです。

 

大抵のスポーツクラブはよく走ります。

バスケットボール部も、毎日体育館が使えるわけではないので”体力づくり”で走ったり。

からだを鍛えたりする日がありました。

 

これが私にかなりつらかった。

当時の私は頑張りすぎると、後から頭が痛くなる人だったのです。

クラブが終わって家に帰った後は、寝るまで頭痛に悩まされたものです。

 

そして夏休みくらいから、少しづつクラブに行くことが減りだして、2学期と3学期はほとんど惰性で参加していただけです。

 

毎日、どうやってさぼるかのサボり方を考えるばかり。

クラブをさぼって、どうやって家に帰るか?そればかりを考えていました。

 

今、あの頃の自分は何者だったかを考えると、たぶん思うに自分の意見を声出して言えない子だったのでしょう。

今だったら、やりたいことに時間を使うし、嫌だとか違うとか、抗うことだって出来るのに。

 

他にもつらい話は持っています。

彼女に振られた話とか、悲しい出来事はあるのですが、今思い出せるのは中学1年生のクラブ活動でした。

 

当時、私はバスケットとかクラブから逃げだしていたのでしょう…たぶん。

何故か当時の暗い気持ちが蘇った、きょうはそんな日と思うことにします。