子供の頃に色々なことを経験しておくことは大切な良いことだと私は思う。
「若い時の苦労は買ってでもしておけ!」
この言葉は色んな本で読みましたし、小学校の時に先生からも聞いたように思います。
子供は何も知らないものです。
成功したことでも失敗したことでも未経験の子にはどれでも良い経験になるハズですね。
苦労した経験は、その子のその後人生で必ず役に立つという話です。
だから今でも耳にするのでしょう。
「若い時の苦労は勝手でもしろ」っと言われるのでしょう。
例えば失敗した経験。
子供時分の失敗であれば、まだ笑ってすませることが出来ます。
例えばお金のトラブルがあったとしても子供時分であればまだ小さい金額ですみます。
子供は手持ちのお金が少ないので、取り扱う金額が小さくもしトラブっても百円単位か多くても千円単位くらいで済むと思われます。
でも、もし大きくなっておとなと言われる世代になってからお金のトラブルに巻き込まれたとすると、万単位、もしかすると数十万とか数百万単位とかになるかもしれません。
もし子供時分に経験していれば同じ糧は踏まない努力をするかもしれません。
でも未経験のままにおとなになったとしたら…
後から経験するほうがお高い勉強代の支払いが必要になるかもですね。これは必然です。
少年時代とおとなになった時では取り扱うお金の金額が違います。
もしお金で失敗したとするとその時の被害?金額は子供時分と大きく違うものになります。やはり必然です。
親は子供に賢くなってほしい思いがあって、子供に夢中になれるものを見つけてほしくて、子供に習い事をさせます。
この習い事ですが、たくさんの習い事を経験したほうがよいのでしょうか?
それとも少ないほうがよいのでしょうか?
というのは今、中国では124が中心聞きました。
124というのは、こどもひとり(1)に親ふたり(2)、そして祖父祖母が二組(4)です。
子供があやまかされて育っていること。
そして次々と色んな習い事を経験していることが、ある本で指摘されていました。
なぜ中国ではたくさん経験するのでしょうか?
習い事に飽きるのか、続かないのか、合わないと判断したのか、どれが本当なのかは分かりません。
色んな習い事を経験して「自分にあったことを探し出す」というタイプと考えるのが合っているようにも思えます。
でもうちの嫁はこのタイプが大嫌い、正反対です。
うちの嫁の考えは「一つのことをじっくりと続けて欲しい」というタイプです。
確かにひとつのこと、ひとつの習い事をじっくりと取り組むのは良いことだとは思います。
でも、もしその習い事が子供に合わなければ…。
合わない習い事をいつまでも続けないとだめだったらと考えると、子供にとっては中国式の色んなタイプを経験することも有りだなと思います。
どれが正しいという答えはないでしょう。
それは何年か後に子供がおとなになって、過去を振り返る時になって初めて分かるものなのかもしれません。