我が家には「うちのお寺」といえるお寺がある。
いわゆる檀家というものだろうと思うが、我が家が懇意にしているお寺が確かにある。
法事ごととか盆と正月、そしてお彼岸のお参りにと、父の位牌を持って毎回お寺を訪れる。父の供養をしています。
我が家の場合、何回か引っ越しを重ねてしまいお墓もお寺も家からは遠くに離れてしまった。
「坊さんのほうが檀家参りするのと違うの?」
坊さんが動くのか、檀家が動くのか? どれが正しいなんて答えはきっとないのだと思う。
やり方なんて色々あるのだろう。だから我が家はいつもお寺参りをしている。
「うちのお寺」は京都の西陣にある雨宝院というお寺さん。
なんでも創建821年という、ものすごい歴史を感じさせてくれるお寺です。
小さくこじんまりとまとまったお寺ですが、驚くなかれ、国の重要文化財である木造千手観音菩薩像が安置されていたりするすごいお寺なのです。
その雨宝院に毎年、春夏秋冬と通っている。
正月、春秋のお彼岸そしてお盆にと。
お坊さんとの都合が合わなくて、お参りを断念することもあったりするが年に複数回は訪問しています。
私たちが家族で訪れた時にはいつも本堂(?)でお経を上げて頂きます。
お堂では以前まで床に座布団に正座していましたが、時代の流れでしょうか?
ご高齢のかたが増えたからだとは思いますが最近は椅子に座ってお参りです。
お坊さんは以前と変わらずに床に正座なのでこちらも正座でいいと思うのですが、お経を上げて頂いてる時は椅子に座ります。
どうも私は慣れません…。
雨宝院は桜の名所でもあります。
珍しい種類の桜もあって薄緑色の花を咲かせる八重桜とか、歓喜桜とか観音桜とか、しられざる桜の名所になっているそうです。
ただ私は桜の咲いているのを見たことがありません。
私が訪問する時期、春であればお彼岸時期ですが、桜が先には少し早くて咲いているのは写真でしか見たことがないのです。
桜のお寺ですが、私のイメージは夏セミの鳴き声がよく聞こえるお寺。
そして松が目立つお寺です。
門をくぐればすぐに目につく松の木と枝。
まるでこのお寺を包み込むように木に守られたお寺、それは見事な存在感を醸し出しています。
さらに夏にはセミの声がプラスされます。
私の頭にあるお寺のイメージは、このお寺の夏イメージが描かれています。
お寺のお堂にはエアコンがありません。
自然な状態で仏様は安置されていのですが、そこでお経とか上げてもらう時にも当然エアコンなしで扇風機だけです。
ただお堂は住宅のように暑くはありません。
若干の暑さを感じるくらいです。
夏セミの声を聞きながら坊さんのお経を聞く時間、厳かなとても大切な時間を持てていると感じる瞬間です。
右に左に建物(お堂)があってどれがなんのお堂か分からないお寺ですが、ちょっと勉強するとそこかしこに歴史を感じられるお寺。
お参りとか関係無しで、花のきれいな時期にいちど訪れてみたいお寺です。