結局最後はどれだけキャラに魂を込められるかということではないだろうか。
最近、ふとした瞬間に思い出してしまうことがある。
それは印象に残って頭から離れなくて忘れられない、物語フェスでみた忍野扇と忍野忍のシーン、水橋かおりさんの演技である。
フェスは朗読劇である。
他の演者が台本を両手でしっかり持ってセリフをしゃべっているのに水橋かおりさんは違った。
水橋かおりさんは台本を片手で持ち、少し手を動かしながら忍野扇を演じていた。
そのシーンをみた時には「あれっ?みんなとちょっと違う…」という程度。
でもそのうちにその場面にグイグイと引き込まれていったのです。
それは私だけじゃないはず、会場全員がその場面に引き込まれていたと思う。
まるで集団催眠にかけられたようにである。
あたかもそこに忍野扇がいるかのように、しゃべっているのは水橋かおりさんではなく忍野扇が会話しているかのように、会場全員の心を虜にしていった。
今考えても鳥肌ものだった。
あんなにすごい場面にあとどれくらい出会えるだろうか。
あとでフェスを振り返ってみたが、あの場面は間違いなくフェス内で一番すごかった。
フェスでは戦場ヶ原ひたぎ役の斎藤千和さんのかわいさや指輪も気にはなった。
花澤香菜さんのかわいい声に癒やされたりもした。
でも違うのだ、一番は彼女たちではない。
あのフェスでの一番は目立たず小さくなっていた水橋かおりさんだったのである。
フェス中でわざと目立たないように隅っこに居て、歌っても恥ずかしさと緊張からか曲の演奏が終わる前に姿が消えているし…そんな姿がなんかかわいいという印象でした。
でもあのシーンだけは化けました。大化けです。
というか水橋かおりさんは女性声優なので声で演技したり、声に感情を乗せたりするのが上手なのは当たり前かもしれません。
それでもです。小さな体が画面いっぱいになって大きく存在感を醸し出す。
これはすごい!と感じる演技をあとどれだけ見れるでしょうか。
今、日経新聞の朝刊で橋田壽賀子さんが「私の履歴書」という半生を綴ったコラムを連載中です。
その中で「おしん」について書かれていました。
幼いおしんが舟に乗って奉公に出ていくシーンでその場にいた全員が涙して泣いたと。
橋田壽賀子さんが書かれた脚本。
作ったセリフに俳優さん達の魂が込められて見た人たちが思わずもらい泣きする、そんな熱く生きたシーンになったそうです。
物語フェスで見た忍野扇のセリフも一緒だな。
結局最後はどれだけキャラに魂を込められるかということではないだろうか。
私は橋田壽賀子さんと同じ、おしんと同じだと思えたののでした。