私の中で阪神タイガースの背番号53番といえば赤星さんです。
彼は体は少し小さいが闘志いっぱいで何より足が速い!
彼のキビキビとした動きが私も息子もとても好きでした。
そんな赤星さんの現役最後となった試合を私は偶然にも球場で観たのです。
それは2009年9月12日(土)。
試合前から雨が振っていて試合開催するのか、中止するのかがとても気になる天気でした。
「今日の試合はやるの?それとも中止?」
どちらかというと中止になりそうな雨振りでした、でもテレホンサービスで確認すると開催するみたい…。
「ほんとかなぁ、試合あるの?」と思いながら息子とふたりで球場に向かいました。
阪神梅田駅では改札で駅員さんも『今日の試合は開催します!!』と云ってます。
「こんな雨でも試合やるんだ…」
ほんとそんなことを思うくらいに雨が振っていました。
タイガースの試合開始はいつも6時スタートです。ですが6時になっても雨が止んでいません。
試合開始をアルプススタンドで待っていても雨に濡れるだけなので売店のある狭い屋内に避難しました。
しかし腰をおろして休憩出来る場所がないくらい人、人、人…。ほんとにひとだらけでした。
そんな鬱陶しい天気の日だったので、選手たちも『今日は試合ないんちゃう』みたいな気持ちが少しはあったかもしれません。
1時間くらいは待っていたでしょうか、雨が小振りになってきました。
さすが甲子園球場ですね、そこからグランドに土を入れたり整備すれば試合が出来るくらいに状態を回復出来るのですから。
赤星さんは試合前に当時の注目新人だった野原選手とキャッチボールをしていました。
私はあの日の試合を思い出す時に、いつもこのキャッチボールとダイビングを思い出します。
最後の打席とか他にも色々と観たはずなのに…不思議ですね。
あの日の先発福原さんは立ち上がりから調子が悪かった。
天気のせいにしてはいけないかもしれませんが、天候が心に隙を作ったのかもしれません。
それは3回です。横浜の攻撃で内川の打球が右中間に飛んできました。
その打球に赤星さんがダイビングキャッチを試みたのです。
『届くかもしれない!』ライナー性のボールに向かって体が勝手に飛び込んだのかもしれません。
その後、まったく動かない赤星さん。タンカーに乗せられて運ばれていく姿を見てアルプススタンドでは何人もが叫んでいました。
『福原!赤星にあやまれ!!!!』
私はあの日あの時の試合を忘れることはないでしょう。
当時息子が着ていたタイガースのユニフォームには背番号53番がプリントされています。このユニフォームは思い出に包まれた我が家の宝物です。
「走れ、レッドスター!!」
私は今でもあなたを応援しています!!