働く人たちの祭典はなんと云ってもメーデーですね。
でもほんとうにそうでしょうか?
私は今年のメーデーに参加しましたが違和感を感じました。何か違うような…。
5月1日の開催ではなくて、毎年参加者が集まりやすいようにと考えられていてGWの初日に開催されます。
私も今年は組合の支部委員をしている関係で、「いちど参加してみるか」と大阪から参戦しました。
場所は奈良県庁前広場です。
この日はまさしく晴天でとても清々しい気候であり、天気の良さに心も浮き立つようなそんな日和でした。
メーデーには初めての参加でした。
初めてなので全体を鳥瞰出来る場所を探し、会場後の柵に腰掛けて眺めていました。
参加者の多くは単身またはグループで参加、その他は家族連れやペット同伴で参加されているかたもおられてとても賑やかに感じることが出来ました。
参加者には会場に入場するときに福引券なんかも配られていましたし、あと組合と繋がりのある労金とか全労済とか諸々の機関が、ボールペンだの花のタネだのポケットティッシュなどを配り歩いていたのが印象深いです。
メーデーのオープニングは高校生の吹奏楽部による演奏から始まって、その後に連合や組合、政治家先生の演説などがあって最後に参加者全員で街なかを行進です。
行進は各組合の旗を持ったひとを先頭に組合ごとに集まり、40分~50分かけて地域を一周する行進をします。
こんな感じですね。
行進の先頭は政治家の先生です。
あと警察も警備に協力してくれていますし、とても和やかな雰囲気を醸し出しているイベントであったと思います。
でもこのイベントはお金と労力を掛けてやる意味あるのでしょうか?
労働者のイベントと言いながら参加者は組合員が中心です。
組合に所属していない方々、また組合に所属出来ない方々はメーデーの対象外(?)でしょうか。
今回わたしは自分から率先してメーデーに参加しましたが、もしかして参加者の中には半強制的に参加したひとや動員費目当てで参加している人がいないとはいえません。
日本の労働者は女性と高齢者の再雇用で着実に増えています。
さらに技能実習生として海外から来日して働かれている方々もおられます。
これら全員が組合員かと云うと答えはノーです。
でもメーデーは組合中心です。どれだけ枠外の労働者がいるんでしょうか。
労働者全体の意見や声をきちんと吸い上げること出来ているのでしょうか。
きっと会社とか組合とかは自身の範囲内のことしか見えていないと思います。
会社や組合という組織であれば、ある意味それはそれで正しいことかなとは思います。
でもそれらの組織を集めただけで、労働者の祭典メーデーを謳うのはダメでないかと云うのが私の意見です。
労働者は会社員として会社組織に雇用されて、そして組合員として組合組織に参加する。
十把一絡げにしたこのやりかたは会社にとって労働者側の窓口が一本化されるので、すごく楽な対応が出来る仕組みだと思います。
雇用や働き方が改革されようとしている今だからこそ、労働者の括りを考える直すときではないでしょうか?