mac-3's blog

好きなことを楽しむブログ。

密なライブは楽しかった!DUSTCELLの巻。

DUSTCELLのライブ、かなり楽しかったです。

 

 

 

 

音楽ユニットDUSTCELLの2023年ツアー「ROUND TRIP」が始まっています。

ゴールデンウィークの真っ只中、大阪でのライブに参戦してきました。

 

DUSTCELLの音楽は、ダンスミュージックでありながら耳に残るメロディが特長なユニット。

楽曲は変調の多い今風曲だと思いますし、DUSTCELLの楽曲は頭に残る感じ。

リズムが頭から離れない……それがわたしのイメージです。

 

大阪は2023年ツアー「ROUND TRIP」の3箇所目。

大阪でのライブは昨年4月に続いて2回目の開催です。

 

昨年のライブパフォーマンスはDUSTCELLのおふたりだけでした。

シンガーのEMAさん、それにコンポーザーのMisumiさん両名だけのライブでした。

ですが今年はバンドメンバーを引き連れてのライブです。

昨年を超えた音とパフォーマンスに期待をしての参戦でした。

 

会場に着いてまず思ったのは、参戦者が多いこと。

会場周辺の待機列がものすごいことになっています。

 

わたしの整理番号が800番台と後半だったこともありますが、会場入口がまったく見えない線路沿いに並んだのは初めてでした。

 

開場が17時でしたが、わたしが入場出来たのは17:20頃、ドリンクゲットは後回しにして、まずはスタンディング場所の確保です。

 

確保が出来たのは会場1/3前方くらいの場所、前方から8列目?10列目くらいでしょうか。

 

でも昨年のイス付き指定席からすると、ずいぶんと前方に位置した場所ではありました。

 

DUSTCELLのライブは透過型スクリーンの後方でパフォーマンスをするタイプ。

昨年の指定席からは「スクリーン後方に人がいるし、なにかパフォーマンスをしている。」程度にしか把握が出来ませんでした。

 

でも今年はもっとずっとリアルなEMAさんとMisumiさん、そしてバンドメンバーのパフォーマンスを確認することが出来ました。

 

ライブって、やっぱり気配とか表情とか息遣いとか、そんなリアルを感じたいものですから。

きれいな楽曲を聴くだけなら音楽配信を聴くほうが絶対にいいですから。

ライブに参戦したみんなは、アーティストと共にその時間と空間を楽しみに参戦していると思いますから。

 

DUSTCELLのライブはかなりの盛り上がりでした。

アンコールの頃にはEMAさんは声が枯れそうなくらい、私も腰が悲鳴を上げそうなくらい、それくらいに激しく楽しめました。

 

相変わらずマスクはしています。

でもいっぱい声出しが出来ましたし、あのスタンディングライブの距離感、上げた腕を降ると周りの人に接触する距離感を久々に感じました。

 

久しかった密なライブ……盛り上がりがいいですね。

 

 

 

 

音楽ライブを楽しむなら、音楽フェスに参戦するのが一番な話。

わたしは音楽が大好き、特に皆んなで盛り上がれるコンサートやライブが大好きです。

家でじっとしていられずに、ほぼ毎月どこかで誰かのライブに参戦をしています。

 

ロックなコンサートにもポップなライブにも、どんなライブにもそれぞれの特色があります。

きっちりと計算された演出のビッグホールコンサートもいいですが、手作り感が満載の小さなライブや、雰囲気がアットホームなライブも私は大好きです。

 

私が参戦していっぱい「楽しい!」を感じるのは、有名アーティストのコンサートではありません。

 

私が推すのは、”音楽フェス”です。

音楽フェスには特定アーティストだけが出演するワンマンコンサートよりも、明確に「楽しさ」を感じることが出来ると思うのです。

 

その理由とは?

それはアーティストが好き!と言う観客だけでなく、たくさんの音楽好きが集まっているからだと思います。

 

ワンマンコンサートの場合、そのアーティストが好きな人たちがチケットを購入して参戦しています。

ライブの盛り上がりもコアなファンから拡がっていく感じ。

曲とライブを知り尽くしたコアな観客がアーティストと客席を盛り上げて、周りの観客に拡がっていくように感じます。

 

それはけっして悪いことではありません。

でもね、どちらが楽しい?と聞かれたなら、私は音楽フェスが好きだと答えるでしょう。

 

音楽フェスのよいところは、観客が特定アーティストだけを推すファンではないところ。

そうです、単純に「音楽が好き」と言う人たちが集まっているところです。

 

そんな観客ばかりで盛り上がれるの?と思うじゃないですか。

でも大丈夫なのです。

音楽好きな人たちがライブを楽しもうって集まっているのですから、パワーはすごいです。

曲に合わせてクラップしますし、腕も上げます。

 

「音楽を楽しもう」って言う気持ち、コアなファンが集まっていないからこそ「自分のペースで音楽を楽しめる」、そんな雰囲気がライブにあります。

 

ただ音楽フェスで頂けないのは、アーティストがタオル廻しを強要すること。

ワンマンライブであれば、タオル廻しがあってもいいのかもしれません。

でも音楽フェスでタオル廻しをするのは……ねぇ。

 

音楽フェスでタオル廻しだがダメなのは、観客が持っているタオルがバラバラで揃っていないから。

観ていても全然きれいではありません。

 

もともと物販で買い物をしない私は、タオル廻しが嫌いです。

その点を差し引いてもです。

各アーティストのパフォーマンス時間が限られた中で、タオル廻しをする必要ないのは?

わたしはそう思うのです。

 

 

 

朝日新聞の値上げ……その先に見えるもの。

えっ新聞なんてまだ読んでいるんですか!?

 

 

news.yahoo.co.jp

 

 

5月1日から朝日新聞が値上げをするそうです。

前回の値上げが2021年ですから2年ぶり?の値上げです。

いや2年で再度の値上げですね。

インフレで値上げが常態化していますから、新聞だって値上げをしてもおかしくはないでしょう。

 

でも新聞の値上げは原料費や運送費用の高騰だけが原因ではありません。

やはり一番大きな原因が問題、購読者数が減少していることが大きいと思います。

 

新聞を取り巻く環境はこの10年でごろっと変わりました。

一昔前であれば、どの家庭でも新聞を読むのは当たり前でしたよね。

朝の通勤電車では、折りたたんだ新聞を読んでいる人を何人も見かけたものです。

でも今では新聞を読んでいる人は皆無かもしれません。

 

私は通勤電車では雑誌、週刊ダイヤモンドを読むようにしています。

電車内を周りを見回しても、紙媒体の雑誌や新聞を読んでいるのは私だけ……

みんなスマホでゲームやマンガ、あとはSNSとかをしているみたいです。

 

新聞の読者が減っているのは、新聞の必要性が薄くなっているからです。

情報の流れが速い今、常にアンテナを張って変化を捉える。

新鮮な情報を仕入れることが求められる時代になっています。

 

新聞と言えば、昨日の出来事を毎朝に情報発信をする。

紙媒体またはデジタル媒体で配布するのが標準的です。

 

グローバル情報だって、オンラインを使えばリアルタイムに入手出来る今となっては、なんと言っても新聞は情報が古いのです。

 

もちろん新聞で提供されるのは情報だけではありません。

精査された情報や分析で深読みされた情報、それに解説とかも情報と一緒に掲載されています。

 

新聞には情報の分かりやすさはあると思います。

ですが情報変化のスピードには全然追いつけていないですね。

 

ChatGPTに「新聞とは何か?」と訊ねてみました。

「新聞とは、日々の出来事やニュースを報道する。幅広い分野の情報を提供することがある。」と言う回答でした。

思うに、日々の出来事やニュースについてはオンラインサイトの方がよっぽど優秀だと思います。

 

新聞の将来を考えると、年々と発行部数を減らしていくでしょう。

さらなる値上げだって必要でしょうし、たぶん毎朝の配達がまかなえなくなるのでは?と思います。

 

私は新聞は社会的な役目をすでに終えていると考えています。

新聞社は今まで築いてきた技術、情報収集とか分析/精査の技術を持って別のことを始める必要があるのではと思います。

 

配達所で配達業務に従事していた方々は、地域のラストワンマイル配達を担ってもらえれば地域社会が円滑に廻るかも……そんな絵を描いています。

 

失敗でも成功でも。

最近読んでいる本に気になることが書いてありました。

その本は今読んでいるところなので全体話をすることは出来ないです。

でも引き込まれることが書いてありました。

その本のな名は、「賢者の書」です。

 

 

 

 

 

途中まで読んで、”なるほど!”と思ったのは、失敗も成功もそれは大いなる絵のピースであると言うこと。

 

人は行動をすることでパズルのピースをひとつもらえます。

どこにはめるか場所が分かるような成功ピースを貰えるかもしれないですし、どこにはめるか分からない真っ黒なピースをもらうかもしれません。

 

でもそれは「大いなる絵」を完成させるために必要なピースのひとつなのだと言うことを。

そこに気づいていると気づけていないでいるのでは、大きな違いがありますね。

 

例えば先日におこった、スペースxのロケット爆発事故。

あの事故でもイーロン・マスク氏は悲嘆したコメントをしませんでした。

むしろ祝福をしたようなコメントでした。

 

 

www.nikkei.com

 

 

私が思うに、これはイーロン・マスク氏がきっちりと「大いなる絵」を描いていて、失敗しても成功しても、それが同じひとつのピースであることをしっかり把握が出来ているからでしょう。

 

そりゃ成功したほうがいいとは思います、ですが失敗でもいいのです。

だって同じひとつのピースなのですから。

「大いなる絵」を完成させるには、どのみちすべてのピースを集める必要があるのですから。

 

イーロン・マスクはそれを気づいている。

わたしにはそう思えました。

 

その後に起こったのが、民間初の月面着陸船が、計画していたとおりに月面着陸が出来なかったこと。

これにも言えるのは、「失敗は失敗ではない」と言うこと。

この出来事や動作だけをとらえたら、それは失敗と言うことしかありません。

 

でも「大いなる絵」として出来事をとらえれば、それは行動によるピースを手に入れただけです。

たとえ真っ黒なピースだったとしてもです。

しっかりとワンピースを手に入れたのですから。そこは称賛するべきでしょう。

 

「大いなる絵」を自分や仕事に照らしてみたらどうでしょう?

給料が上がったとか、役職が上がったこととかは、確かに成功体験です。

逆に地方勤務に変わったとか、リストラされたとか。そんなことだって起こるかもしれません。

 

でもそれらは「大いなる絵」で考えるならば、やっぱりひとつの出来事です。

一つのピースでしかないのです。

 

人としての器で考えるとすれば、「大いなる絵」は人生と言えるかもしれません。

その人生の中でおこす行動がピースです。

人生には失敗だって成功だって「大いなる絵」を完成させるのに必要なのです。

 

ピースを揃えるのに大切なことは「行動を起こすこと」。

我々の波動は強くありませんから、まずは行動あるのみです。

 

 

ChatGPTを業務に利用するには。

これはブームですか?

それともシンギュラリティへと続く一歩なのでしょうか?

 

会話型の人工知能、ChatGPTが世間を騒がせています。

今までは知っている人だけが理解しているとか、試してみたとかのレベルでした。

でも今はブーム?と言えるほど。

 

企業で業務ツールとして採用されたり、自治体での採用がニュースになっています。

傍から見ると「大丈夫かいな?」と思うほど、フィーバーしている状態にみえますね。

 

仕事に使うとなると倫理とか企業秘密とか、利用するのに守らないといえないことが大きく増えます。

 

ChatGPTを利用して社内の機密事項がサーバーに吸い上げられていた……なんてことは簡単に考えられます。

 

「そんなパラメータを入れて利用はしない」こんな当たり前のことなのですが、それが企業全員で利用をするとなると、当たり前ではなくなってくると思います。

 

たぶん今は大丈夫かもしれません。

でも世代が進んで、会話型AIを利用するのが当たり前の世代が家で利用と同じように会社でも利用しだしたとすると……

 

そんなことを考えると、単に利用を認めるだけでなく、専用のフィルターを掛けて利用させることが必須になるように思います。

 

急激にChatGPTの業務利用が迫ってきましたが、業務にどうやって利用しようか?

そこは社員各自が知恵を絞るところです。

 

漠然と思うのは、人って過去を参考にして仕事を進めていきます。

先人が作成したレポートを読んで、その構成とか、書かないといけないことを学んで、自分流にレポートを作成する。

 

準備のよい職場では、業務に手順書が準備されているかもしれません。

初めてする作業でも手順書があればありがたいですね。

 

でも作る側からすると、手順書ってまとめるのがかなり大変ですよね。

それをChatGPTを使ってテキストだけでもなんとかならないか……

 

汎用の対話型AIは調教なんてこと出来ないから、こちらがあの手この手を使って、それっぽくなるように考えるしかない。

そうすればそれなりのテキストが出来るかも……そんなイメージを持っています。

 

でもそれって他の手順書にも応用が出来るのでしょうか?

こんなの考えてもしかたないですよね、実際に実行するしか答えは出ません。

 

ただ言えるのは、会話型AIも使いこなせるテクニックとか、ノウハウが必要になると言うこと。

 

でもいつか……AIが仕事をするから人はいらなくなるかもしれない。

それでAIを利用しないという選択は出来ないでしょうね。

 

 

まるごと洗面台を交換しました。あたしい洗面台は気持ちいいです!

水漏れしていた洗面台、まるごと交換しました。

水漏れから開放です、さらにきれいな洗面台を眺めるたびに、そこの小さなしあわせがありました。

 

生活インフラが使えないのは不便ですね。

何を洗面台ごときでって言われそうです。

でもね、普段何気なく使えているものが使えなくなる……

その恐怖は今回で身にしみてわからせられました。

 

洗面台が生活インフラっておおげさな……と思われるかもしれません。

でもこれだって、立派な水場インフラの必需品です。

 

水漏れでわが家の洗面台が使えなかったのは10日間ほどです。

最初、洗面台が使えないとはいえそこまで影響はないと考えていました。

と言うのも、洗面のとなりには風呂場もありますし、水を使うことが出来ますから。

 

カガミからは外れますが、風呂場だって顔や歯を洗うことは出来ます。

でもね、たかが10日間でしたがかなり難しかったです。

 

それはやっぱり習慣が邪魔をしたからです。

朝は目覚めのからだが洗面台の前に立ちますし、すでに置いていないドライヤーや髭剃りを探すのです。

移動済でいつもの場所に置いていないのにね。ほんとイヤです……

 

我が家の場合、結局は洗面台ごと交換をすることになりました。

洗面台はホームセンターで購入です。だって安いから。

まるごとで3万円くらいから販売しています。

わが家の新しい洗面台で工賃や旧洗面台の撤去費も含めて6万円くらいです。

 

ただ洗面台のボールが陶器ではありません。

今はなんでもプラスチックですね。

きれいな間はいいですが、時間が過ぎたらどうだろう?

安物感は拭えないかもしれません。

 

ホームセンターでオーダーしてから12日目で交換です。

作業員はワンボックスの軽自動車で来てくれました。

洗面台はプラスチックですから軽いのでしょう。作業員はひとりで十分みたいです。

 

すんなり交換が出来たらよかったのですが、古い家ですからトラブルがありました。

それは水道の口が抜けなかったこと。

洗面台に接続する水道口、いわゆる蛇口は「お湯の蛇口」と「水道の蛇口」の2種類があります。

「お湯の蛇口」はすんなり取れましたが、作業者曰く「水道の蛇口」がぐらぐらで蛇口を取ることが出来ないみたいです。

 

水道の蛇口側は、しかたなく洗面台に大きめの穴を開けて対処しました。

洗面台下をしっかりチェックでもしないと表だけを見ていれば分からない点ですね。

 

 

 

 

でも洗面台を取り除いた後って汚れています。

お見せするのが恥ずかしいくらい……でもすべてをさらけ出します。

 

洗面台の交換時間は1時間半くらい。

午前だけで十分終わる感じです。

 

もし洗面台で水漏れがしたら……、詰まりを取り除くだけでよいかもしれません。

でも洗面台ごと交換するのもありではないでしょうか?

だって6万円で交換出来るのですから。

 

中年おやじがジェンダーレストイレを利用して思ったこと。

これって誰得なのでしょうか?

最近、歌舞伎町タワーに出来たジェンダーレストイレが話題です。

ニュースにもなっているのでご存知ですよね。

 

 

news.yahoo.co.jp

 

 

ジェンダーレストイレとは、男女どちらもが利用すること出来るトイレのことです。

東京の歌舞伎町タワーに、そのジェンダーレストイレが出来たことがニュースになって話題になりました。

どうも今では炎上中のようです。

 

たしかにジェンダーレスの人からすると、トイレを女性専用とか男性専用にきっちり区分けされているのは利用がしづらいとは思います。

 

例えば女性な男性なのに、性別分けをすると、男性だから男子トイレを利用させられる……なんてことは、その人にとってはたぶん屈辱でしかないと思いますから。

 

でも中年おっさんの私からすると、ジェンダーレストイレは利用がしづらいです。

女性が用を足している個室の隣で……ちょっとねぇ。

 

実は先日訪れたパンケーキレストランのトイレがジェンダーレスでした。

トイレマークは男子も女子も同じマークですし、女性も男性もが利用をしますし並びます。

 

そのトイレを利用した感想は……たぶん皆さんの想像通り、知らない女性と一緒にトイレ待ちを並ぶのがすごく気まずかったです。

 

もちろん少しは距離を開けて並びましたが、それでもです。

たぶんわたしの前に並んでいた女性はもっと恥ずかしかったでしょう。

知らないおっさんが後ろに並ぶのですから、きっとそうだと思います。

 

そしてその後、女性が出たあとの個室に入るのはもっと勇気が必要でした。

本当に入っていいものか……入っても捕まらないか。笑

とか考えました。

 

ほんとにそれくらい気を使うトイレでした。

遊びでふざけているのならまだしも、真面目に設計されているトイレです。

その施設にジェンダーレストイレしかないとなると、利用しないわけにはいきませんから。

 

ジェンダーレストイレは、中年男性にとっては使いづらいトイレではあります。

こんなトイレを作るのは時代の流れであることは分かりますし、社会がジェンダーレストイレを必要としているのも認めます。

 

でもねぇ……例えば大きめの施設であれば、ジェンダーレストイレを作るのはいいですが、それ以外にもきちんと男性用と女性用のトイレも準備して欲しい。

そうすれば、どのトイレを利用するかは利用者が選択出来ますから。

 

わたしの訪れたパンケーキレストランのような、ここもあそこもジェンダーレストイレばかりとなると、気まずい気持ちになる利用者がいると思いますから。

 

こんなことを考えるわたしは古い人間!?なのかもしれませんね。